【ゴジラ-1.0】シン・ゴジラしか知らない人による2作目のゴジラの感想───

 あのゴジラ終戦直後の日本にやってきたら───
 そんな設定で描かれるゴジラ映画「ゴジラ-1.0」。
 特にゴジラファンというわけではないがいまだにシン・ゴジラの幻影を追いかけているミーハーファンではあるのでなかなか面白そうな設定だと思い観に行くことにした。

 観る前は「ええ、どうやって倒すんだ......」と思っていた。正直ゴジラってシン・ゴジラしか観た事ないから自分の知ってるゴジラの強さってあのゴジラをイメージしてしまう。日本やアメリカの最新兵器を持ってしても傷ひとつつかなかったあの怪物に、戦後の日本が何かできるのか、いや何もできないだろう。そもそも「倒す」という考えすら浮かばないレベルでそれこそ台風みたいにゴジラが去るまで逃げ隠れするしかないんじゃないかと思っていた。

 迫力のあるゴジラの「暴」と神木隆之介演じる軍人「敷島浩一」を中心としたヒューマンドラマがうまくマッチした良い映画だったと思う。

 まずゴジラの殺意が高かったな。ただ歩くだけじゃなくて明確に人を狙っていた。顎と牙を明確に武器として使っていたのもなかなか新鮮だった。
 ビーム撃つところも良かったね。背中の突起が青く光りながらガチャッガチャッって突き上がるシーンとか大好き。

 そんなゴジラにどう立ち向かうのか。日本軍もアメリカ軍も何もしてくれないから民間だけで立ち向かわなければならない状況になったのちょっとびっくりした。そんなん無理やん───
 口の中に爆弾突っ込んでダメージを与えるのはなるほどなと思った。今回のゴジラは結構噛みつき攻撃をすることが多いから口内攻撃をする余地があった。
 吉岡秀隆演じる「野田健治」が立案したゴジラ迎撃作戦。敷島浩一が「絶対に成功するんですか?」って詰問してきた時は野田健治側に感情移入しちゃって心苦しかった。いや絶対かどうかはわかんないよ・・・。やってみないとわかんないでしょ。あんな未知の怪物相手に短い時間でいい作戦思いついたと思うよ。もちろん敷島浩一含む作戦参加者の気持ちもわかるけどね。実行するのは自分達だもん。うまくいかないかもしれない作戦に命掛けたくはないよね。
 作戦前夜の決起集会的なシーンも良かった。「この作戦では誰も死なせない」。これは確かに民間主導じゃなきゃできないことだと思う。終戦直後のゴジラ襲来自体は確かにゼロからマイナスだったけど、人々の意思は確実にプラスに向かって行っていたと思う。まあ、というかゴジラが襲来したのは割と人々の生活基盤も整ってきたタイミングだったから言うほど「ゼロから」じゃなかったかも。

 「敷島浩一」も王道主人公をしていた。恐怖から何もできず仲間を見殺しにする、守るべき人が自分を守って死んでいく。そんな挫折・苦悩を乗り越えて最後に巨大な敵に立ち向かう。
 てっきり最後は死ぬつもりで突撃するのかと思ってた。橘さんは脱出スイッチのことを起爆スイッチだと嘘の説明をして発進させると思っていた。でもよく考えるとそれじゃあ意味ないよな。特攻隊員の時と同じことをしても意味がないのだ。「僕の戦争が終わらない」と言っていたが、そもそも敷島は戦いを始めてすらいない。彼の戦争は生き残る覚悟で死地に挑むことで始まり、そして生きて帰ることで終わるのだ。

 「ゴジラ-1.0」。非常に満足感のある映画だった。「ゴジラ」がいなければ成り立たないストーリーだけど、根幹はゴジラとは関係ない人々の思いが紡ぐ物語だった。
 このテンションで他のゴジラ見たらどうなるんだろう。「シン・ゴジラ」と「ゴジラ-1.0」しか知らない人間が次に見るゴジラは一体どれになるだろう。まあ、気が向いたら第1作観てみようかなあ。