ミステリー小説への挑戦
「好きな小説のジャンルは何ですか」と聞かれたら、「ミステリー」と答えるだろう。
何かしら事件が起きて(大体は殺人事件だ)、かつその犯人が不明な状況で、たまたま(あるいは意図的に)巻き込まれた探偵役が事件を解決に導く、そういった物語が好きだ。
(「ミステリー小説」と「推理小説」の違いは正直どうでもいいので今回は「ミステリー」という言葉を使っていく。)
なぜミステリーが好きになったのかを振り返って考えてみると、おそらくそれは幼少期に「夢水清志郎シリーズ」にハマったからだろう。
もちろん最近は読んでいないからずっと思い出の中に留まっていた小説だが、調べてみると青い鳥文庫の公式ホームページで紹介されているようだったので、懐かしいなと思い覗いてみた。
・・・・・・・・・・・・・・・ルイ??誰だ!!!?????
自分が知っているのはあいちゃん、まいちゃん、みいちゃん、そしてレーチくらい。
どうやら3姉妹が登場するのは第一シーズンで、第二シーズンでは新しいキャラクターが活躍しているようだ。自分が読んだことあるのは第一シーズンの本ばかりで、第二シーズンのことはこの記事を書いている途中に知った。マインちゃんとかは名前だけ知っていたりはするけど。
自分がそうだったように今でも子供たちにとってのミステリー入門書になったりしているのかな。
今本棚を軽く見ると綾辻行人の小説が一番多い。「館シリーズ」はほぼ全巻持っているようだし、「館シリーズ」の横には「Another」もあった。
「Another」は小説を読んだ後、「え!?これアニメ化してるの!?」と驚いてアニメも全話見たがどっちも面白かった。
「十角館の殺人」が漫画化すると聞いた時も「え!?あれを漫画化するの!?」と驚いた。漫画で初めて「十角館の殺人」を読んだ人の感想を聞きたいものだ。
メディアミックスといえば自分が「クビキリサイクル」を読んだ当時は「映像化不可能」という触れ込みだった記憶がある。だからこれもアニメ化すると聞いた時は「え!?あれをアニメ化するの!?」と驚いた。流石に「戯言シリーズ」全体をミステリーに分類するのは抵抗があるが、「クビキリサイクル」についてはちゃんとミステリーしていると思っている。
さて、今まで様々なミステリー小説を読んできたが、「探偵」より先に謎を解いたことはないし、探偵より先に謎を解こうと思って読んだことはなかった。
自分がミステリー小説を読むときは、物語の最後で探偵が得意げに披露する推理を聞いて(読んで?)「なるほど!」とか「その発想はなかった!!」とか「ああー確かにあの時のあの描写不自然に感じたんだよなあ・・・」などの感想を抱くという、まあおそらくごく普通の楽しみ方をしている。
それはそれで十分楽しいのだが、ふとこういうことを考える時がある。
本気で推理すれば自分にも犯人がわかったかもしれない
もちろん答えを知った後に「本気を出せば自分にもできた」なんて誰でも言える。
だからこそ、挑戦したい。
今まで流し読みしていたところを流さず、人物の言動・感情を把握して読む。屋敷の図面は逐一読み返す。違和感を感じた描写を放置しない。メモをとる。こういうことをやって読んでみたいと思う。
探偵役が推理を披露する前に(そのタイミングを測るのも難しそうだが)自分の推理を確定させる。
そして、ミステリー小説のクライマックスである「探偵の謎解き」で答え合わせを行うのだ。
やろうとしていることは「トリックを使って自分が犯人でないと誤認させようとする真犯人」に対する挑戦であり、「ミステリー小説の作者」に対する挑戦であるわけだが、実際のところ「作者」の気持ちとしてはどうなのだろう。
「面白い。受けて立つ」と堂々と待ち構えるのだろうか。
それとも「そんな読み方をしてほしくない」「そんな分析をされたらトリックわかってしまう。やめてほしい」と思うのだろうか。まあ仮に本心がそうだとしてもそれを表に出すのは小説家のプライドが許さないだろう。
そういう意味では言ったもん勝ち・やったもん勝ちな気もするが、まあ色々な読み方があるというところで勘弁してほしい。
あと、世の中には解決編を袋とじにして「読者への挑戦」を明言しているミステリー小説もあるので、そこまで気にしなくてもいいかもしれない。
そもそも、そんな簡単に解けるとは思ってない。むしろ論理的に解こうとすればするほど単純な真実に気づかなくなる可能性だってある。大体この手の問題はひらめきや発想がものを言うのだ。
そしてもう一つ、自分がそのような読み方をしてみてどう感じるのか、ミステリーを楽しむ気持ちを失わずに済むのだろうか、という不安もある。
例えば、万が一、億が一、探偵役より先にトリックを解き明かしてしまったとして、思ったよりカタルシスを感じない可能性もある。
逆に、トリックを暴くことができずに探偵役の推理を知って、そのトリックに対して「そんなのわかるわけないだろ!」とか「それは事前に提示された情報ではわからないよ!」といった不満を抱いてしまう可能性もある。まあ、最初に挙げたように自分は割と有名な(メディアミックスされるような)ミステリーを読むので、トリックがいまいちと感じることはないんじゃないかなと思っている。
それにそもそもミステリー小説の魅力はトリックだけではない。
自分が大好きな本格ミステリ作品はたいてい、トリックやロジックが優れているだけじゃなくて、どれも「雰囲気」が良いのだよね。
— 綾辻行人 (@ayatsujiyukito) July 30, 2019
絢辻先生もこのようにおっしゃっている。物語として面白いから読んでいるのだ。個性的なキャラクター、あっと驚く展開、時には感動的なストーリー。
こういったトリック以外の要素も「ミステリー小説」を形作る大事な要素だと思う。
考えてみてほしい、トリックを楽しみにコナンの映画を観に行く人が果たしてどれくらいいるだろうか?
ではどのミステリー小説に挑戦するのかだが、いくつか積んでいる本や気になっている本があるので、機会を見て読み始めようと思っている。
そう、この取り組み、気軽に小説を読むことができないのだ。
メモを取ったり、読むのを中断して考察したりしたいので、電車の中で読むとか空き時間に読むとかができないのだ。
読みたいときに読めないのは「ミステリー小説への挑戦」の大きなデメリットの一つであるが、ミステリー小説以外にも積んでる本読みたい本は結構あるので、そこまで問題はないだろう。
近いうちに読む本を決めて、「挑戦編」と「解決編」の2つに分けて記事を書ければいいかなと思っている。
これまでの人生そこそこの数のミステリー小説を読んできた。この挑戦がどこまで続くかはわからないが、これまでの読書経験をフル活用して1冊くらいはトリックを解き明かしたいものだ。